2025年3月2日(日)~4日(火)まで母方の姉妹のお墓参りとルーツを調べに京都に旅行しました。6人兄弟姉妹のうち4名のお墓が判明し、お参りすることができました。
富美恵さんからのハガキ
1月末頃に京都の中島家長女の娘さん(富美恵さん)から突然1通のハガキを頂きました。そこには、昨年の6月24日に中島家長女の清江さんが98歳で亡くなり、私の母親(陽江)も含め3姉妹の供養を富美恵さん引き受けるとありました。
私の母親が日蓮宗に入信していたことや叔母さんが亡くなったことなど知らないことばかりだったので、3月2日から2泊3日の予定で京都に伺い、中島家のことを教えてもらい、お墓参りに行くことにしました。
朝早く出発し、京都でランチ
前日に切符をJR大人の休日倶楽部で割引購入しました。そして、自宅を7時少し前にuberで出発。7時26分の新幹線に乗りこみ9時28分には京都に到着していました。
ホテルに荷物を一端預けて、錦市場付近の老舗お蕎麦屋さん「権太呂」で名物の「鶏卵うどん」を頂きました、蕎麦とうどんをそれぞれ注文、蕎麦はあんかけ出汁を吸収してしまうので、うどんの方がツルツル感があり良かったと思いました。
梅津大社近くの中島富美恵さんの家訪問
四条高倉バス停から3番線のバスに乗り梅津大社まで約30分、約束の時間14時ちょうどに到着しました。約2時間、富美恵さんからいろいろな話をお聞きし、明日の法要の待ち合わせ時間を確認して戻りました。
富美恵さんからのヒアリング内容
<衣笠街道の実家>
・祖母:旧制は山村とめの、伊賀上野出身、60歳で亡くなる
・祖父:中島龍三、着物の刺繍職人
・衣笠街道の実家では8名の家族と3人の職人さんの11名で暮らしていた
<長女:照夫さん>
・大正7年(1918年)1月12日生れ
・一度結婚した。その後、生涯独身で刺繍を引き継いだ
・平成2年(1990年)1月30日に亡くなる(72歳)
・母親(陽江)より10歳年上
・検体を希望していたので、お墓は無い
<次女:清江さん>
・大正15年(1926年)3月11日生れ
・97歳の時、腰が痛くて入院。
・2024年6月4日に98歳で亡くなった。母親(陽江)より2歳年上
・富美恵さんのことを「陽江さん」とよく間違えた
・1度目の結婚:明美さん。2度目の結婚:富美恵さん+巌久くん
・富美恵さん27歳の時、離婚。
・その4年後(平成元年3月10日)に父が自殺。
<従妹:明美さん(比路枝)>
・昭和25年(1950年)8月31日生れ
・高校の時は病弱、19歳で婚約するが破断
・富美恵さんが小6の時、小川正さんと結婚
・しかし、重婚が判明。6年後解消したが、仕事はしない、暴力団?
・明美さん40歳の時、脳腫瘍が判明、その後19年間にわたり闘病。
・59歳で亡くなるが、目は見えない。
・小川正さん、2008年63歳くらいで亡くなる。
・遺品整理時に拳銃出てくる。捨てた。
・なくなる前の約1年間は明美さんと同じホスピスで闘病。
・その1年後の2009年12月28日に明美さん亡くなる(第二日赤病院)。
<長男:国輔さん>
・大正9年(1920年)1月2日生れ
・眼医者の好重さんの連れ子(国夫さん)は若くして亡くなる
・数年前、眼科・薬局を閉じた
・会津藩殉難者墓地 (黒谷会津藩墓地)に国輔さん、好重さん、国夫さん
<次男:中島盛夫>
・大正11年(1922年)9月14日生れ
・1度目の結婚(サトコさん):千雅さん、ユウコさん
・サトコさん(ユウコさん)飛び込み自殺
・2度目の結婚:マサコさん誕生
・昭和50年、会津藩殉難者墓地 (黒谷会津藩墓地)にお墓建立(千雅さん)
<三男:中島義人>
・昭和7年(1932年)1月23日生まれ(72歳で亡くなる)
・1度目の結婚(和子さん):一義くん誕生
・和子さんとバイクのおっちゃん
・一義くん17歳の時、和子さん亡くなる
・和子さん亡く亡くなった1年後に再婚
・衣笠街道の家を引き継ぐ
・お墓は等持院
夕食は昭和レトロのお店「スタンド」
ホテル「るーといん烏丸」から繁華街の新京極まで徒歩20分くらいの昭和レトロ感満載の「スタンド」というお店に18時20分くらいに入りました。若者で満席。
少し物足りなかったので、ホテルに戻る途中、イタリアンの二次会で本日は終了です。
3月3日(月)にお墓詣り
雨の中、会津藩殉難者墓地 (黒谷会津藩墓地)
ホテルから長男(国輔さん)のお墓までバスで30分くらい。朝8時少し前ころ出発しました。到着して住職にお墓まで案内してもらいお墓詣りができました。黒谷会津藩墓地は浄土真宗です。
現場に行くと中島家のお墓が2つあり、もう一つは昭和50年に中島千雅さんが建立した次男(盛夫)さんのお墓と判明しました。塔婆を立て供養しました。
平安寺へ供養に行きました
10時45分に富美恵さんと平安寺で待ち合わせ。平安寺は日蓮正宗で母親(陽江)、清江さん、照夫さんが過去に入信していると聞いていました。昨日、父親と母親の戒名を富美恵さんから付けた方が良いと言われ困ってましたが、本日の塔婆に戒名を書きたかったのだと分かりました。なぜか、父親(久雄)の塔婆が建てられて一緒に供養するとは思いませんでした。結構、自由なのですね??
この平安寺には、清江さん、明美さん、正さん(明美さんの夫)が納骨されてるとのことでした。お経を読んでもらい、お焼香を行い、無事に供養が終わったのはお昼少し前でした。
お昼ごはんは老舗の鰻屋さん
本日のお墓参りは午前中で終わり、バスで平安寺から四条河原町に戻り、老舗の鰻屋さんでランチです。12時少し前なので空いていました。
注文したのは、日本酒+鰻小橋+卵焼き乗せ鰻丼のセット(2400円)、美味しくお値打ちでした。昼食を終え歩いてホテルまで戻りました。
ホテルの朝食会場で作戦会議
我々が宿泊したのは「ちぇっくいん烏丸」ホテルの204号室、この部屋は6:30~20:00まで利用できる朝食会場の隣の部屋で、フリードリンクで広々とパソコンなど利用できるので超便利。
ホテルの11階にはいつでも利用できる露天風呂付きお風呂もありナイスな選択でした。場所も良かったので今度京都にくることが有ったら、このホテルの204号室を希望したら良いかな。
本日の夕食はホテル近くの海鮮居酒屋です
18時ころ、夕食に出かけました。ホテル近くの2階の居酒屋は空いていました。何を食べたかよく覚えていませんが、麻婆豆腐が丸美屋の味だったのは覚えています。
3月4日(火)は義人叔父さんのお墓参り
前日に義人叔父さんの家に電話し、奥さんと等持院で13時30分に待ち合わせしました。ホテルチェックアウトを10時ころ済ませ、時間があるので京都市バスの循環バスで一周観光しました。
京都市バスはオレンジ色の200番台のバスが循環バス、青い番号のバスは目的地バスという区別を学びました。203番バスで四条高倉から一周し、205番バスに降り変え、衣笠高校前で下車し1kmほど歩き等持院に13時ころ到着しました。
叔母さんはすでに到着しており、合流できたのは13時15分ころです。お墓参りを終え、叔母さんとバス停までお話しながら歩き、バス乗車まで見送ってくれました。
旅の締めくくりは京都駅
少し遅いランチ
義人さんのお墓参りを終え、ホテルに荷物を取りに行き、京都駅のポルタ食堂街で少し遅いランチを採ったのは15時ころから約2時間。お手軽で美味しいイタリアン、ハッピーアワーでお酒が220円とお安かったので良かったです。
おみやげ関係は新幹線の構内で調達
おみやげ、美味しいパン、新幹線の中での飲みものを新幹線構内で調達し、18時8分の新幹線に乗り込み帰宅しました。今日は雪交じりの寒い日、新横浜からuberで1900円でした。
感 想
母親(陽江)の兄弟姉妹関係についてほとんど知らなかった。今回の旅である程度理解し、お墓詣りが出来たのは本当に良かったと思います。生前にもっと話を聞いてあげれば良かったと後悔しました。