東京オリンピック開催(2021年7月23日)の1週間前、7月16日(金)と17日(土)にオリンピックボランティア活動を開始しました。期待と緊張でこの日を迎えましたが、何か違っていました。

異例の開催

・6月1日にユニホームを受取り
・6月20日に第一回目のワクチン接種
・東京に発出され再々延長された第3回目の緊急事態宣言が6月21日で解除
・7月11日に第二回目のワクチン接種
・1ケ月もたたないうちに感染者が増大し
・7月12日から8月22日まで第四回目の緊急事態宣言が東京に発出
・7月16日にボランティア活動開始

6月17日時点での感染者はすこしづつ増えはじめ500名弱、こんな予想をしていました。

国立感染症研究所のシミュレーションによると、7月23日の開会式前後で、東京の新規感染者数は約700人。五輪開催で人流が10%増えると、7月末には約1000人に達する。これは、インドで見つかったデルタ株の影響力を小さく見積もった試算。現在流行中の英国由来のアルファ株に比べ感染力、病原性ともに1・2倍とした。影響を大きく見積もり、宣言もないと仮定すると、7月半ばに約2000人に達する。

この提言通りの結果になってしましました・・・・・
東京2020オリンピックは緊急事態宣言のもと、無観客で開催されるという歴史的に異例な開催となりました。

ボランティア活動の役割

私の役割は大会関係者の輸送、輸送ボランティアは大きく分類すると2チームあります。一つは、活動拠点を築地市場の跡地に設けた「築地デポ」で活動するT3チーム、大会関係者をタクシーのような感じで輸送します。
もう一つは選手村近くに活動拠点を置くNOCチーム、大会関係者をハイヤーのような感じで輸送します。

オリンピック期間は「選手村」のNOCチーム、パラリンピック期間は「築地デポ」のNOCチームで活動します。

輸送ボランティアの初日

ついにその日がやってきました。午前中はジムでトレーニング、お昼ご飯は目の前の喫茶店「ソフト」でハンバーグ定食、ユニホームに着替え12時30分ころ出発しました。

各駅停車で東白楽駅からで中目黒、日比谷で有楽町線に乗り換え豊洲、ゆりかもめで豊洲の次の駅、新豊洲に到着したのは14時7分、ここから晴美大橋を通り徒歩約20分で、選手村につきました。

選手村に着くまで、ユニホーム着用者とは全く出会わなく、恥ずかしかったですね・・・・
15時、チェックインを済ますと初日活動メンバー4名のグループを複数その場で作り、活動の流れ研修。アルコールチェック・免許確認などを行い、実車訓練。埼玉、静岡、大阪からボランティア参加した私と同い年位のメンバーが我がチーム。

最初に汐留から首都高速に乗り国立競技場、テニスの森の有明スタジアムを経由して選手村事務所に17時15分ころ戻りました。私はこの日は運転しませんでした。

これからどうすれば良いかわかりません。事務所で待ってると、数回リーダが仕事依頼をするだけで動きは全くありません。輸送利用を希望する大会関係者がほとんどいなく、ボランティアが余ってるので、私たちは事務所で待機。
本来のシフトは15時から23時まででしたが、そんな事情(仕事がない)もあって19時30分で終了でした。

夜景・未来都市を眺めながら晴美大橋を渡り、豊洲経由で新富町のアパホテルに20時20分到着、コンビニで夕食買物。輸送担当でしたが運転しなかったボランティア初日でした。

ボランティア活動の2日目

ボランティア2日目は選手村に7時30分集合です。アパホテルの隣の吉野家で6時40分ころ朝定食、体調を整え選手村に到着しました。

昨日と同じように仕事がないので、ボランティアが朝速くから沢山待機して密状態になっています。たまに入ってくる仕事は、3日以上仕事をしていない方が優先して受託するので、2日目の私は今日は一日待機かと思ってた10時ころ、初日と同じようにボランティア4名でチームをつくり、大会車で自由行動。今日は私が選手村から国立競技場まで最初に運転しました。

輸送チームのお昼ご飯は、ガスト・バーミヤンなどのスカイラークグループでランチできる食事券が毎日1枚支給されます。これを利用して表参道のバーミヤンでタンメンを頂きました。

国立競技場、バーミヤン、お台場海浜公園、水泳競技上、ガソリン補給して14時30分ころ選手村に戻り、本日の活動も終了と説明を受けました。シフトは17時まででしたが、本日も早帰りでした。

感 想

期待していた2日間。誰もお客さんを乗せない2日間。コロナ・無観客の影響で仕方ないとボランティアメンバーは達観していました。